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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)2910号 判決 1966年6月09日

原告 喜多綱市

右訴訟代理人弁護士 吉岡秀四郎

同 緒方勝蔵

被告 石川禎

右訴訟代理人弁護士 宗宮信次

同 北村金太郎

同 川合昭三

同 泥谷伸彦

同 飯田実

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し一、六三〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年五月七日以降支払済みまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行宣言を求め、請求原因として、

原告は被告から昭和一五年六月二〇日以来被告所有の別紙目録記載の増築前の建物を賃借し、これを占有していたが、昭和二四、五年頃これに増築し、別紙目録記載の増築後の建物のとおりにした。これにより右建物は延四九坪四合増加したが、原告は右増築のために一坪当り三三、〇〇〇円以上、四九坪四合で一、六三〇、〇〇〇円以上の費用を支出した。

右費用は右建物の改良のために支出された有益費であるから、当時右建物を賃貸していた被告は、民法第六〇八条第二項又は同法第一九六条第二項に基き、原告に対し右費用を償還する義務がある。

よって、原告は被告に対し、一、六三〇、〇〇〇円および本訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四〇年五月七日以降右支払済みまで右金員に対する民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める。

と述べ、被告の抗弁に対し、

原告が被告に対する費用償還請求権を放棄したことは否認する。原告は建物を賃借するに当り、造作代金として八〇、〇〇〇円を支払い、当時の慣習により、建物を営業の目的に適するように自由に増改築する権利を取得したから、被告の解除の主張は失当である。被告が建物を訴外下田に譲渡し、その主張の日にその旨の登記手続をしたことは認める。しかし、建物を賃借し、占有する者が支出した有益費の償還義務は費用が支出された当時の賃貸人が負うのであって、賃貸人は建物を他に譲渡したからといって、右義務を免れるものではない。又、建物の賃借人又は占有者は建物を返還した後でなければ、有益費の償還請求権を行使できない。ところで、本件において、建物の敷地所有者は原告らに対する債務名義に基き昭和三九年四月一四日に建物収去の強制執行をしたが、原告はその際建物から退去し、当時の建物所有者に建物を返還したことになったので、本訴請求に及んだのである。

と述べた。

被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、原告の請求原因に対する答弁として、

原告が被告から昭和一五年六月二〇日以来被告所有の別紙目録記載の増築前の建物を賃借し、これを占有していたことおよび原告が昭和二四、五年頃右建物に増築を加えたことは認める。ただし、右建物の坪数は増築前は、建坪三四坪七合、二階三二坪であり、増築後は建坪四〇坪九合五勺八才、二階四三坪二合二勺五才、中二階八坪六合九勺四才、三階一六坪八合七勺五才である。その余の事実は否認する。原告主張の増築は建築基準法に違反し、危険この上もない不完全なものであって、建物所有者は右増築により損害を受けることはあっても、利益を受けるものではない。従って、右増築のための費用は有益費に属しない。

と述べ、抗弁として、

一、原被告間の建物賃貸借契約には、(1)賃借人は賃貸人の許諾なくして賃借物の原状を変更しないこと、(2)賃借人は建増をしないこと、(3)賃借人は賃貸人の同意なしに建物についてなした加工物又は附属物を自費で収去すること、(4)賃借人が以上の約定に違反したときは、賃貸人は催告をしないで直ちに賃貸借契約を解除することができる旨の約定があった。原告は右約定により被告に対する費用償還請求権を放棄したものと解すべきである。

そして、被告は原告主張の増築が右約定に違反することを理由として、昭和二五年九月三〇日および昭和二七年四月二八日に原告に到達した各書面で賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

二、被告は右建物を訴外下田千代に譲渡し、昭和二九年一一月九日にその旨の登記手続をした。

ところで、建物について支出された有益費の償還義務は建物の返還を受けて、増加した価値を取得する者が負うものであって、建物が譲渡されたときは、旧所有者の償還義務は新所有者に承継され、旧所有者はこれによりその義務を免れるものと解すべきである。従って、かりに、原告が右建物について有益費を支出したとしても、右のとおり、被告が右建物を訴外下田に譲渡するとともに、被告の償還義務は訴外下田に承継され、これにより被告は右義務を免れた。

三、かりに、原告がその主張の増築により被告に対し費用償還請求権を取得したとしても、その性質が不当利得返還請求権であると、有益費償還請求権であると、附合による償金請求権であるとを問わず、右請求権は増築がなされた昭和二四、五年から一〇年を経過した昭和三五年中に時効により消滅した。

と述べた。

証拠≪省略≫

理由

一、原告が被告から昭和一五年以来その所有の別紙目録記載の増築前の建物を賃借し、占有していたことおよび原告が昭和二四、五年頃右建物に増築を加えたことは当事者間に争がない。

二、原告は右増築のための費用は従前の建物の改良のために支出された有益費であるから、民法第六〇八条第二項に基き、その還還を請求すると主張する。しかし、たとえ、右費用が有益費に属するとしても、以下の理由により、右主張は失当である。

すなわち、有益費償還請求権は特別の事情がないかぎり賃貸借終了の時から行使しうることは、民法第六〇八条第二項から明らかである。そして、被告は昭和二五年九月三〇日又は昭和二七年四月二八日に賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたと主張するので、もし、右解除がなされたとするならば、特別事情の主張がない本件において、原告は右解除の時から、当時の賃貸人である被告に対して右有益費の償還を請求しえたものと認められる。従って、昭和二五年九月三〇日になされた解除が有効であるとすれば、同日から一〇年後の昭和三五年九月三〇日の経過とともに、又、昭和二七年四月二八日になされた解除が有効であるとすれば、同日から一〇年後の昭和三七年四月二八日の経過とともに、右有益費償還請求権は時効により消滅したことになる(被告の抗弁第三項はこの時効を援用する趣旨を含むと解される。)。しかし。もし、右解除が無効であったとすれば、被告が建物を訴外下田千代に譲渡し、昭和二九年一一月九日にその旨の登記をしたこと(このことは当事者間に争がない。)により、賃貸人の地位は被告から訴外下田に承継されたことになるが(借家法第一条)、この場合被告主張のように、新賃貸人の訴外下田が有益費償還義務をも承継し、旧賃貸人の被告が右義務を免れたものとすれば、原告の主張が失当であることは当然である。又、たとえ、そうではなく、被告がいぜん右義務を負っていたとしても、賃貸人の地位が被告から訴外下田に承継されるとともに、原被告間の賃貸借は終了したわけであるから、原告は同日から被告に対し右有益費の償還を請求しえたのであって(民法第六二二条、第六〇〇条は費用償還請求権の除斥期間を定めたにすぎず、同法条により、原告主張のように、有益費償還請求権は建物の返還の後でなければ行使できないと解することはできない。)、同日から一〇年後の昭和三九年一一月九日の経過とともに、右請求権は時効により消滅したといわなければならない(被告の抗弁第三項はこの時効を援用する趣旨をも含むものと解される。)。従って、いずれにしても、民法第六〇八条第二項に基く原告の請求は理由がない。

三、次に、原告は民法第一九六条第二項に基き被告に対して有益費償還請求権を有すると主張するが、賃貸借契約に基いて建物を占有している者が有益費を支出した場合は、民法第一九六条第二項の特別規定である民法第六〇八条第二項が適用され、一般規定である民法第一九六条第二項の適用はないと解するのが相当であるから、原告の右主張は失当である。

四、なお、原告がなした増築部分が民法第二四二条本文により従前の建物に従として附合し、当時右建物を所有していた被告の所有に帰属したとすれば、原告は民法第二四八条により被告に対し償金請求権を取得したことになるが、右償金請求権は附合が生ずると同時に行使しうるものであるから、増築がなされた昭和二四、五年頃から一〇年が経過した昭和三四、五年頃に時効により消滅したといわなければならない。従って、原告の請求は附合による償金請求権に基くものとしても、失当である。

五、よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用は敗訴の原告の負担として、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野宏 裁判官 矢口洪一 青山正明)

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